ドナー体験
「健康」への思いを変えたたった一度のドナー体験
夢野未来(大阪府在住)
 1992年にドナー登録を行いました。大阪の骨髄バンク登録からしても結構早い登録でしたが、なかなか適合せずそれから8年後に一度だけ、ドナーを経験し、当時の年齢制限もあって卒業、今はmixiなどでドナーのみなさんの悩みや、不安に少しでも役に立てればとメッセージを送ったり、年に何度かの献血に参加させていただいています。

 私がドナーとなったきっかけ
 技術職ではありませんが、医療関係で仕事をしており、結婚して親とは離れて生活をしていました。私が28歳のときに長男が誕生し、両親も大喜びをしていました。そんな中で、突然舞い込んだのが母親の病気。子宮ガンですぐにも手術が必要という判断で入院、手術となりましたが、年齢も50代で手術後の検査で転移が確認されており、手術後の抗がん剤の使用、放射線治療など、入・退院を繰り返す生活も展望の見えにくい状況でした。
 二年後に次男が誕生しますが、それと引き換えのように闘病生活を送っていた母親が亡くなりました。母の死を契機に、自分で直接できることはないかと考え、「腎臓バンク」と「アイバンク」に登録を行ないました。その後、大阪の骨髄移植推進財団(骨髄バンク)が作られ、ドナー登録の呼びかけがあったことを通じて、40歳で「骨髄バンク」にドナー登録を行ないました。
 自分に出来るボランティアのひとつ、「癌」という病気で母を亡くした中で、自分が医療人として、患者さんに対して直接できる事というのが、正直な最初の思いでした。

ドナー登録
 血液センターにドナー登録の手続きに行きました。まだ、登録者があまり多くない時期で、当日説明を受けたのも私を含めて、数名。職業を聞かれて「病院の事務職で血液センターにはお世話になっています」と挨拶し、担当者の方も「では、骨髄移植についても少しはご存知ですね」というやりとりが記憶に残っています。
 登録者に対する説明用のビデオを見せてもらいましたが、率直な感想は「全身麻酔か大変だなあ」(当事はチェーンスモーカーというのにふさわしい喫煙者でした)「ちょっと痛そう」というのがありましたが、ドナー登録に関しては迷いなくその場で採血をお願いし、無事に登録が完了しました。
 無事登録を終えて、早々に二次検査の案内をいただき、「血液型」と違って「白血球はなかなか一致しないはず」なのに、こんな簡単に適合するのかと思ったのですが、あくまで二次検査はドナーのデーターをよりくわしく集めるためのものだった感じで、その後の進展はなく、ひたすら年月が過ぎて行きました。

初めての三次検査
 登録から6年半経過したとき、「ある患者さんのHLA型が同じであることがわかり」という三次検査の案内の封書が届きました。
 2週間以内に、提供の意思確認書と問診表の送付が求められました。さっそく記入し、返送、続いてコーディネーターの決定のお知らせも届き、11月末に指定された病院で三次検査を受けることになりました。
 12月に入り、一般検査の結果は異常なしで、実際に移植を実施するかどうか検討を行い「2カ月以内」に連絡するとの通知がありました。
 二次検査から次へのステップが長く、やっと「自分にも何か」役に立てると喜び、結果の通知を待ち望んでいました。
 しかし、結果的には「最終的なドナー候補」とはならず、コーディネイト終了の通知が届きました。やはり、非血縁間でのHLAの適合はすくないなーというのが実感でした。しかし、一方でこれは次につながる可能性があるなという予感も芽生えたのも事実です。

「ドナー」を意識し「禁煙」を決意
 初めての三次検査まで行った頃、民間の病院の事務長という立場にあり、「禁煙」の取り組みについてもいろいろと議論がされ、病院施設での禁煙の問題、医療従事者の「喫煙」問題が話題となっており、当事の院長からも再三再四「事務長禁煙したら」と言われていました。「禁煙」と「職場」どちらかを選ぶなら「職場」を変わるほうがいい、「高額納税者なんだから」など結構いろいろ言いながら一日30本を越すヘビースモーカーを続けていました。
 しかし、三次検査まで行ったことで、実際の骨髄提供が現実味を帯び、もし一週間近い入院となると、「禁煙」しておかないとしんどいなと考えて、98年の秋からひそかに「禁煙」に入りました。
 最初は、また吸えばいいとタバコは持ったままで、のど飴をなめながら3日間、タバコを吸いたくなると水を飲んで一週間、一カ月を過ぎた頃からまわりも気が付きはじめて「禁煙したの」と話題になりました。また、ドナーの件は職場では話をしていなかったので、「とりあえず休煙」と話題をさけながら、何とかヘビースモーカーからの離脱に成功しました。
 結果での話となりますが、「ドナー」という目標がなければ私の「禁煙」は成功していなかったのではと思います。

二度目の三次検査
 初めての三次検査から二年が経過した、2000年の三月に再び、三次検査の案内が届きました。前回の経験があり、今度はそう簡単に適合しないからと落ち着いた気持ちで検査に望むことが出来ました。しかし、当時は50歳でドナー登録が終了となることから、最後のチャンス何とか合ってくれと思いつつ、三月の末に検査を受け、四月末に異常なしそして、「三カ月以内」に返事を通知しますと封書を受け取りました。
 六月の中旬過ぎに「最終のドナー候補者に」との通知が届き、家族同席で説明と同意書の作成をとの連絡がありました。最初は信じられず、人事のような感じだったことを思い出します。
 妻をともなっての面接で、再度、骨髄移植に関する手順やいくつかのリスクなどの説明も受け、妻とも話し合いをしました。妻の思いは本音のところではどうであったのかわかりませんが、ドナー登録をした以上、私の骨髄を必要とする患者さんがいるなら、提供したいと言う意思を妻も尊重してくれました。
 しかし、この間も多くのドナーのみなさんが悩んでいるように、自分の親への連絡は完全に話が決まってからと後回しにして、私と妻、立会いの医師の署名による「骨髄提供に関する同意書」を六月末に提出しました。 その後、移植手術の出来る施設一覧をいただき、病院を選択させていただき、時期についての打合せと、いよいよ現実味を帯びてきました。
 一応、説明は受けていたものの、骨髄の採取の量も全身麻酔の下で1000cc近く採取することから、安全を考え自己血をあらかじめ採取し、輸血しながら行なわれる、などと説明されると改めて大変だなと実感がわいてきました。
 事前の健康診断と採血のために何度か、病院に足を運ぶことになりましたが、打合せや通院のすべてにコーディネーターの方が関わり、いろいろなアドバイスや心配をしていただきました。偶然なのか配慮があったのか、最初の三次検査でお世話になったコーディネーターが今回も担当していただき、その点ではとても気が楽でした。

移植手術への秒読み
 最終の健康診断、手術中のリスクに備えての自己輸血用の採血も完了、8月の入院が決定しました。私の休みを取る都合を最優先していただいた結果ですが、後から考えると、採取後の骨髄を運んだりするチームのみなさんの都合などが、まったく頭に入っていなかったなと終わったあとから反省しました。
 職場の関係では最終決定を受けて院長に相談し、はじめて「禁煙」もそのための準備であったことも話しました。職場が医療関係ということで、職場の同意を得る上での障害が少なかったのは幸いでした。休みの扱いについて、「ボランティア」休暇として特別休暇にしてはとの、発言もいただきましたが、職場の永年勤続で取得できる「リフレッシュ休暇」を使って休むことにしました。
 実際の入院日、手術日が決まる中、こんどは頭の中で自分のことへの不安がよぎりました。それは、採取にともなう事故ではなく、もし直前になって、私が交通事故にあったり、急な病気にでもなったらどうしようというものでした。
 移植にそなえ患者さんの側の準備も進んでおり、直前の問題は生死に関わる問題ですから。「自分の健康」を本気で意識しました。医療の職場に働いてはいても、長年タバコをすい続け、不規則な生活や、健診をサボったりと、まったく「自分の健康」について無頓着だったことから、大きな変化でした。そして、これまでだったら平気で無視していた、家の近くの小さな交差点の信号でもちゃんと守り、横断歩道を渡るときには左右を確認、仕事で疲れをためないようにと寝る時間も早めるなど、生活習慣まで変化して行きました。

思わぬ伏兵
 ついに入院日を迎え、病院へ。これまで病院に勤務はしていたものの、入院するのは今回がはじめて、案内された部屋は広い個室でした。主治医、担当の看護師、明日の麻酔の担当医とそれぞれ手術を前にしたレクチャーを受け、夕食をしっかりと食べて、夜の10時からは絶食となりましたが、眠れるかナーという心配も、精神安定剤の投薬を受けてあっさりと熟睡。
 次の朝、気持ちよく目覚めて廊下に出ようとしたとき、おいしそうな朝食とパンを焼くにおいが、絶食の私にとって「思わぬ伏兵」、午前9時からは水もダメとなり、これはけっこうきついものがありました。やっぱり好きなものを、好きなときに好きなだけ食べる生活に慣れており、それを止められると情けないものがあり、食いしん坊を自覚させられました。
 11時に再び、精神安定剤の投与があり、その後手術衣に着替えて、1時から手術場へ向かいました。ストレッチャーに乗せられて、天井の蛍光灯を見ながら、テレビで見たような場面だなと思いつつも、自分が緊張してくるのが分かりました。手術室に入ると、麻酔の担当医師から氏名の確認がされて、マスクを付けられるとすぐに意識がなくなりました。

記憶にありません
 予定の4時より少し早く病室に戻ってきたらしく、何か頭の上で声が聞こえるような、夢を見ているような感じから、一瞬で意識がつながり、病室に妻と子どもたち3人が来てくれているのが分かりました。入院も手術も無縁で家族からの手紙というのは、これまで経験がありませんでしたが、私が戻ってくる間に、妻や三人の子どもたちみんなが一言ずつメッセージを残してくれており、これは今でも「宝物」として残しています。
 麻酔の切れかけた、半覚醒の状態で医師に「うまく採取できましたか」という確認して、看護師さんには「カレーうどんが食べたい」とかいろいろ言っていたそうで、妻の手紙に「 麻酔が完全に醒めきっていない中で、看護師さんとのやりとりは冴え渡っていて、このまま帰ろうかと話しいていました」と書かれてありましたが、私の記憶にはいっさいありません。

貴重な患者体験
 病院関係に勤務しながら、一度も入院をしたこともなかった私にとって、手術後の3日間は基調な体験の日々でした。
 手術終了から、次の日の朝にかけて、点滴による水分摂取で脱水とわずかですが微熱で本当の病気をしたような状態となりました。夕方から深夜、朝方まで1時間単位で血圧の測定や、点滴の確認など看護師のみなさんの仕事を目の当たりにして、あらためてその仕事の大変さと、心強さを実感しました。手術の次の朝には、血圧も正常にもどり、傷の痛みもなく、昼には点滴もはずれて極めて順調に回復しました。
 二日目には麻酔中に管を通していた関係で、咽喉に少し痛みがあったのと、微熱だけがあった程度で、点滴をはずしてもらった後、傷の痛みもなかったものですから、自分で勝手に着替えて廊下を散歩して「昨日の今日ですから・・・」と看護師さんにあきれられてしまいました。
 手術の前日を含めて、予定通り3泊4日で退院し、その後、2日間自宅で休養、散歩をしたり買い物に行ったりと体をならして、一週間の休みで職場に復帰することが出来ました。
 骨髄の採取部位も、あまり痛むこともなく、4日目くらいにはかさぶたができて、消毒のみでシャワーも使えるようになり、まったく普段と変わらない生活となりました。中には、傷が痛んだり、腰痛になったりとトラブルがある場合もあるようですが、幸いにも私の場合そうした問題もまったくないままに、貴重なドナー体験が終了しました。

ドナーの卒業
 退院後、定期の健診を受けましたが、当然なんら問題はありませんでした。ドナーとして、一度採取を行なうと、そこから一年間は登録が保留されます。そしてその後また、再登録するかどうかの確認の文書が送られて来ました、私の場合、残りの期間があと一年と短い間でしたが、もし適合すれば再度提供する旨を伝え再登録しましたが、結局はその機会がなく、50歳の誕生日が来て、ドナー卒業となりました。
 当事に作成したメモと、私たちの職場に関連した雑誌に禁煙にかかわって投稿した記事がありますが、「骨髄移植のドナー」を経験することで、自らの健康の大切さと、家族や職場の仲間とのつながり、コーディネーターさんをはじめとするみなさんとのかかわりが、自分の中に財産として残ったと書き記してあります、たった一度の体験ですが、私にとって「自分の健康への考え」「医療関係者の一人としての姿勢」を大きく変えた、貴重な体験でした。その点の思いは今も変わらない正直な気持ちです。
 
患者さんと家族の経済的な負担軽減の制度化を
 この間、mixiのやりとりの中で、患者さんやご家族の経済的な負担に対する、率直なドナーの意見のやりとりがやられています。
 ドナーの一人一人はボランティアとして自分の出来ることとして、登録し手術に望んでいますが、ドナーの検査費用や入院の個室の部屋代や、移植にかかる費用など、大きな経済負担が患者さんとその家族にのしかかることに心を痛めています。
 私も入院先の個室を見て、入院した日に病院の中を歩いて個室の料金表をながめました。しかし、一方で医療関係者の立場からすれば、本来、健康なドナーの体に負担をかけて行うことへのプレッシャー、全身麻酔での手術の後の対応を考えると「個室」管理を優先する思いも理解できます。
 問題は、これらの負担の大半が患者さんや家族にのしかかること、この点で、骨髄移植にかかる費用に対する「公的助成制度」が出来て、ドナーも安心して手術に臨め、患者さんや家族も経済的な心配なしに療養に専念できるようになれば、もっとこの「善意の輪」が広がるものと思います。今後こうした運動に関わって生きたいなと思っています。

自分の「健康」の大切さを自覚した貴重な「体験」
 母親の病気がきっかけになって、ドナーに登録し、ドナーの体験の体験を通して改めて、自分の健康の大切さ、医療関係に仕事をしている自分の考えに大きな「財産」が出来た、貴重な「体験」でした。
 ドナーを終えて、仕事に戻ったとき、職場の仲間から「ご苦労様」とか「すごいね」とたくさんの声をかけていただきました。でも、頑張っているのは、今も病気と闘っている「患者」さんで、私はドナーの体験を通して本当の勉強、健康の大切さを学ぶことが出来たと思っています。
 病気やケガはいつ、どこで、誰がなるか分かりません、そんな時に、みんなの小さな善意の力でお互いを支えればいいなと思います。
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